頭にオスの交尾器が生えている生き物がいるという。初めてそれを聞いたとき、わたしは自らの耳を疑った。たとえば、サメであれば交尾器(クラスパー)は腹部についているものであり、交尾のときにメスの体内に挿入して使う。何をどう間違っても、決して頭についているものではないからだ。
その生物の学名は「キメラ・ファンタズマ」。地中海から得られたその不思議な生物を初めて記載したのは古代ギリシャ人で、詩人ホメロスは叙事詩『イリアス』の中で、ライオンの頭、龍の尻尾、ヤギの胴体を持った生物「キメラ」であると述べている。ファンタズマというのは空想や幻想を意味する。
また、深海底近くをゆらゆらと泳いでいる姿が幽霊を彷彿させるためか、英語ではゴーストシャークとも呼ばれている。この仲間は世界中に49種しかいないので、知らない人も多いかもしれない。頭に交尾器があって、ギリシャ神話のキメラのようで、それは一体全体どんな生き物なのだろう。
この生物のことを日本では「ギンザメ」と呼ぶ。春から初夏にかけて下田沿岸の刺網漁で捕獲されるときもあるが、まだ多くの生態は謎に包まれている。ちょっとややこしい話をするが、ギンザメはサメではない。サメはエラの孔が5対ある、ザラザラのサメ肌(楯じゅんりん鱗)を持つ、歯がバラバラと抜け落ちて無限に生え替わるなどの特徴を持つが、ギンザメはこのような特徴を持たない。ギンザメはエラの孔が1対で、体表には楯鱗がなく、滑らか。また、甲殻類や貝類などの無脊椎動物を噛み砕くため、両顎(上顎は2対、下顎は1対)には歯板がある。
そのほかにも興味深い相違点がある。
サメとギンザメの頭骨を比較してみよう。サメは頭骨と上顎を含む顎骨が分離しているが、ギンザメの上顎は頭骨に癒合している。同じ軟骨魚類といえど、骨格からみてもサメとギンザメの違いは一目瞭然だ。
オスの頭部にある突起物を観察してみる。その先端には小さな棘が密生している。ギンザメが実際にどのような交尾をするかは想像の域を出ないが、この突起はオスがメスを押さえつけるために使うのではないかと考えられている。そのため、この突起には前額交尾器という名称がつけられているのだ。