柳に雪折れなし

No.172

t柳の枝は柔らかいので折れにくい、ようは堅いものは脆く、柔らかいものは耐えるという意味で、人生訓によく用いられる慣用句である。

 前回が米の話で、今回柳の話になったのは、食べたら磨くという順番に沿ったのだ。その歯磨きに柳の枝が、かつては使われた。

 歯磨きの習慣は、西暦500年ごろ、仏教の伝来とともに日本へ伝わったとされている。

 当初、貴族が僧侶の身を清めるという説話に従って始め、やがて武士階級にも広まった。ただ、庶民に根付いたのは、やはり明日死ぬかも知れないという戦国ではなく、江戸時代に入ってからになる。

 まさに衣食足りて礼節を知るである。

 庶民まで歯磨きをするようになったとはいえ、使用するのが柳の小枝の先を木槌のようなもので叩き、ささらのようにしたものに、房州砂、塩、なすびのへたの黒焼きを粉末にしたものなどを付けて、歯にこすりつけただけで、歯肉との境目、歯と歯の間など考えてもいなかった。それでもしないよりはましである。

 この柳の枝から歯ブラシと呼ばれる形状のものに変化したのは、明治維新以降らしい。1873(明治5)年大阪で鯨の骨に馬の毛を植えたものが販売されたとの記録がある。

 では、現在の歯ブラシの原型は、いつからか。どうやら11世紀ごろ中国で生みだされたらしい。牛の骨に穴を開け、そこに馬の尾を差しこんで作ったと伝わる。しかし、ものは残っていないので文献からその形状を想像するしかないが、ほとんど現在のものと変わらないように思える。

 11世紀に中国でできあがっていながら、なぜ日本で受け入れられなかったのか。

 これは、牛や馬は農耕を手助けしてくれる大切な財産であったため、肉はおろか毛を切り取るなどとんでもないと、受け入れられなかったからではないかと考えられている。

 日本へ入ってきていないのではないか、鎖国もあったことであるしと言われるかも知れないが、国内にはまちがいなく入っている。歯ブラシは17世紀ごろには、ヨーロッパで使用されていたからだ。人は一度経験した爽快感を忘れることはできない。

 大航海時代、船に運命を託した文物を運んだ欧州人も歯ブラシを持参したはずだ。それは鎖国、いや国が閉じる前に来た交易商人、カトリックの司祭も同じ。

 今、長崎では、出島を始めとする諸所で発掘、再現がおこなわれている。近いうちに日本で最初となる歯ブラシが見つかるかも知れない。

著者

上田秀人

作家・歯科医師
(うえだ・ひでと)

上田秀人 (うえだ・ひでと)

1959年 大阪生まれ。大阪歯科大学卒業
1997年 第二十回小説クラブ新人賞佳作「身代わり吉右衛門」でデビュー
2011年 第十六回「孤闘 立花宗茂(」中央公論新社刊)で中山義秀賞受賞
2012年 開業していた歯科医院を廃業、作家専業となる
日本推理作家協会会員/日本文芸家協会会員/日本歯科医師会会員

【主な作品】
禁裏付雅帳シリーズ(徳間文庫刊)
日雇い浪人生活録シリーズ(ハルキ文庫刊)
聡四郎巡検譚シリーズ(光文社時代小説文庫刊)
百万石の留守居役シリーズ(講談社文庫刊)
本懐(光文社刊)