武士は喰わねど高楊枝

No.171

 171今どき使わない言い回しで、武士は食事をしていなくてもひもじい顔をせず、食事を終えたばかりだと楊枝を咥えるくらいの矜持を持てとの教えである。

 腹が空いては戦はできぬという真反対の慣用句もあるが、これは設立した時代の差、戦いが日常であった戦国乱世に後者が成立(語源については、中国宗の時代という説もある)し、徳川幕府ができて天下泰平になってから、前者が言われるようになったのではないかと思っている。

 事実、武士は米をよく喰った。

 ご存じの通り、江戸時代は米が価値の中心であった。百万石だ、六十二万石だなど、その領地からの収穫で武士の格が決まった。石高が勢力の基準になったのは、人一人が年に一石の米を喰うとされたからである。一石は150キログラム、これを一年で割ると、一日およそ0.4キログラムで、およそ三合弱になる。ただし、これは庶民も女性も含めての平均値であり、戦うことが専門でカロリー消費の激しい武士はもっと多い。

 私の書く時代小説や、テレビの時代劇でよく扶持という言葉が出てくる。扶持米だけの者もいるので正確ではないが、これは本給ではなく、手当に近いもので、武士の食料として、日に玄米五合が支給された。

 つまり武士は一日五合の米を喰うとされた。

 いや、米だけで腹を膨れさすしかなかったのである。

 主食たる米以外は保存性が悪い。輸送も今のように保冷トラックなどないため、魚も野菜も運んでいては傷む。もし運べたとしても、手間賃がかかって値段が高くなってしまう。

 おかずになるものが手に入らないから、米を喰う。さらに米自体がうまいため、おかずがなくとも湯漬けで満足できる。

 戦国から江戸の初期はそれでよかった。喰うのは黒米あるいは玄米だったからだ。しかし、泰平が続くと贅沢になるのが人の性、やがて白米ばかり喰うようになった。となるとビタミンB1が不足し、循環器系に障害がでる。世に言う脚気である。脚気は心臓の機能低下を主症状とし、最悪死に至る。また、主たる要因とまではいかなくとも、歯周組織の健全さを奪い、歯周病にも影響する。さらによく噛まなければならない固い黒米、玄米から柔らかい白米への移行は、噛む回数を減少させる。

 栄養不足、咀嚼筋群の退化、江戸時代の平均余命が五十歳前後と短かったのには、このあたりが影響しているのかも知れない。

著者

上田秀人

作家・歯科医師
(うえだ・ひでと)

上田秀人 (うえだ・ひでと)

1959年 大阪生まれ。大阪歯科大学卒業
1997年 第二十回小説クラブ新人賞佳作「身代わり吉右衛門」でデビュー
2011年 第十六回「孤闘 立花宗茂(」中央公論新社刊)で中山義秀賞受賞
2012年 開業していた歯科医院を廃業、作家専業となる
日本推理作家協会会員/日本文芸家協会会員/日本歯科医師会会員

【主な作品】
禁裏付雅帳シリーズ(徳間文庫刊)
日雇い浪人生活録シリーズ(ハルキ文庫刊)
聡四郎巡検譚シリーズ(光文社時代小説文庫刊)
百万石の留守居役シリーズ(講談社文庫刊)
本懐(光文社刊)