新幹線と鈍行

No.114

東京駅で東海道線に乗り込んだ。新橋をすぎる頃、後追いの新幹線が私の乗った鈍行の横に並び、車窓には、熱心に本を読む臨床家の先生の顔が疾風のごとく過ぎ去っていった。私は車窓から見える、変わり行く東京の姿を目の当たりに、様々な感慨にふけった。新幹線ではこんなにゆtestっくりと東京を見ることはできないだろう……、大きなビルが新しく建ったのはわかるだろうが……。以前から気になっていた古い家、古い看板はそのままで、ヒトの乗降もその駅の情緒をかもし出してくれる。品川に着く頃、追い越したはずの新幹線も品川に停車していた。あたかも私を待っていたかのように。そんな中、私の乗った鈍行の止まっているホームと新幹線のホームの間の在来線のホームを歩く某大学の有名な基礎の教授がベンチに座っていた。その教授は地上を走る電車は嫌いで地下鉄にしか乗らないことで有名であった。地下鉄の連絡の無い場合を除いて。

 さて、21世紀となり現在各大学にインプラント科ができ始めた。確かに患者のニーズはインプラントに傾きつつある。臨床家は次々と発表される欧米のインプラントや新技術に目を奪われ、同業者に負けじと講習会を受ける。基礎研究者はそんな臨床に冷ややかな目をむけ、最先端の分子生物学・遺伝子工学を目指すようになった。大学の博士の学位にしても、戦前の尋常小学校、旧制中学、高等学校そして20世紀後半には大学を出るのが至極当然のようになったと同じように、21世紀では大学院を出るのがあたかも当然のようになったような錯覚で進学してくる学生を見るに付け考えることが多い。結論は臨床が新幹線で基礎が地下鉄である。そんな私は鈍行であり、双方の行方を見守っている臨床基礎学者と自負している。

 時間に追われて、東京をでて品川でサイナスリフトを学び・新横浜でGBRのテクニックを・そして大阪で実践。そんな中、私は各駅に止まり、サイナスリフトのエヴィデンスを実証し、GBRの骨を検分し、インプラントを……。しかし、私が大阪に着く頃には、臨床の先生は何往復もして、次々に新しい技術を身に付けて行ってしまう。早すぎてエヴィデンスは見えないかのように……。臨床の先生方にもたまには鈍行に乗ってもらいたい。各地の駅弁の味を忘れてもらわないためにも……。

著者

井上 孝

東京歯科大学臨床検査学研究室・教授
(いのうえ・たかし)

井上 孝(いのうえ・たかし)

1953年生まれ。1978年東京歯科大学卒業。2001年東京歯科大学教授。幼少時代を武者小路実篤、阿部公房などの住む武蔵野の地で過ごし文学に目覚め、単著として『なるほど』シリーズを執筆。大学卒業後母校病理学教室に勤務し、毎日病理解剖に明け暮れ(認定病理解剖医)、“研究は臨床のエヴィデンスを作る”をモットーにしている。