梅は咲いたか、桜はまだかいな

No.184

梅は咲いたか、桜はまだかいな 江戸時代から明治時代の花柳界で流行った端はうた唄である。
この後に「柳やなよなよ風次第、山吹や浮気で色ばかり、しょんがいな」と続く。
さらに「浅あさり蜊捕れたか、蛤はまだか云々」という二番もある。ずいぶんと風流な出だしだが、梅も桜も関係ない。なにかと言われれば梅毒のことだ。
 最近、若い人を中心に梅毒が増えているという。特効薬のペニシリン系抗生物質のアモキシシリンが開発されるまで、結核と並んで日本人の国民病であった。
 歴史的には永承九年(一五一二年)には本邦の文献に登場するのを嚆こうし矢とし、諸外国との交流が盛んとなる戦国時代に急速拡大をした。徳川家康の次男秀康、加藤清正、黒田官兵衛らが感染したと推察され、晩年の奇矯な行動を繰り返した豊臣秀吉の死因は脳梅毒によるのではないかとの説もある。
 梅毒も感染症、コロナウイルスもそうだったが、人の交流が増えれば爆発的に拡大する。五〇%程度だとされていた戦国時代の罹患率が、幕末の医師、『解体新書』の執筆で有名な杉田玄白によると、診察した患者のうち七割から八割は梅毒だったと記録している。もちろん正確な統計ではないが、とにかく多かったのはまちがいないだろう。
 あらためて私がいうことではないが、諸兄は梅毒の初発症状が口腔内に現れやすいとご存じだと思う。当然、それをすばやく発見し、専門医へと連携するのも歯科医師の役割であるが、それ以上に諸兄たちが感染しないようにしなければならない。
 梅毒以外にもコロナウイルスなど、唾液、血液などを介して伝染する病気は多い。歯科ではかなり前から、感染対策は取られてきた。マスクは基本中の基本、器具の滅菌、使い捨ての紙コップや手袋の使用、検診における道具の個別化。
 これらが徹底され、習慣となっていたおかげで、今回のコロナウイルス騒ぎで、歯科医院におけるクラスターは少なかった。
 去年、医療関係者のシンポジウムに参加したとき、同席した国会議員の方から、「どうして歯科でクラスターが少ないのか。もっとも感染源に近いのに」と尋ねられたことがあった。「歯科は感染予防に慣れているからですよ」と私は胸を張って答えられた。
 世界的な流行を受けて、感染予防に効果のある薬剤や道具が出た。こういった新式のものを取り入れるのも必要だが、基本こそ重要。いつまた未知の病原菌が人類の生息域を脅かすか、それは誰にもわからないことだが、確実に起こる。努ゆめゆめ々忘れることなかれ。

著者

上田秀人

作家・歯科医師
(うえだ・ひでと)

上田秀人 (うえだ・ひでと)

1959年 大阪生まれ。大阪歯科大学卒業
1997年 第二十回小説クラブ新人賞佳作「身代わり吉右衛門」でデビュー
2011年 第十六回「孤闘 立花宗茂(」中央公論新社刊)で中山義秀賞受賞
2012年 開業していた歯科医院を廃業、作家専業となる
日本推理作家協会会員/日本文芸家協会会員/日本歯科医師会会員

【主な作品】
禁裏付雅帳シリーズ(徳間文庫刊)
日雇い浪人生活録シリーズ(ハルキ文庫刊)
聡四郎巡検譚シリーズ(光文社時代小説文庫刊)
百万石の留守居役シリーズ(講談社文庫刊)
本懐(光文社刊)