ご存じでしたか。第81回米アカデミー賞で日本作品として初の外国語映画賞に輝いた「おくりびと」の原作『納棺夫日記』の作者である青木新門氏が、以前(2003年10月~2004年7月)ジーシー・サークルのエッセイに「歯科医とカイラス巡礼」のタイトルで執筆されています。日本という国の「命の大切さ」の哲学を学んだような気がします。その内容の面白さもさることながら、カイラスへ同行された、私も面識のある歯科医師の寺田周明氏の写真は趣味の域を遥かに超えており、まさにプロの写真家です。青木新門氏の著書の「転生回廊 聖地カイラス巡礼」に掲載されている数々の写真が色鮮やかに彩っていて、それが寺田周明氏の撮影された写真で感動ものです。
それはそうと春到来です。新潟のどんよりした灰色の冬空も気持ちのよい青空に変わりました。春と言えば何といっても「花見」でしょう。
「花見」は一人でも二人でも楽しく、大勢ならなお楽しい。日本の春の風物詩といえば「花見」と言っても過言ではありません。どうして日本には「お花見」の習慣があるのでしょうか。新潟でも週末となれば桜の名所といわれる場所は、どこも青空宴会場に変わってしまうほど、みんなこぞって桜の木の下に集います。
この「花見」、花は限定されていないのに、誰もが「花見」といえば「桜」という認識を持っています。新潟はチューリップ畑が多く、そこでの花見でもよさそうですが、何故“桜”なのでしょうか。このルーツをさかのぼると、「古今和歌集」にたどり着きます。「万葉集」では、春の花では桜より梅のほうが多く詠まれているようですが、平安時代になると貴族たちは桜を好むようになり、この頃から「花見といえば桜」を指すようになったようです。花見の宴がはじめて催されたのは平安時代、嵯峨天皇の宮中で行われたものが最初だといわれています。平安貴族の優雅な遊びだったのが、江戸時代になると庶民の間にも浸透し、春の国民的イベントへと拡大していったようです。
桜にはいろいろ種類がありますが「染井吉野」がもっとも有名です。花はうすピンク色。日本の桜の8割以上はこの染井吉野です。白花でよく見かけるのは「大島桜」、桜花爛漫の例えに使われている桜です。染井吉野は江戸時代に、江戸駒込の染井村から植栽が始められ、吉野桜の名に誕生地の「染井」の名を加えて「染井吉野」になったそうです。
染井吉野より、少しだけ遅れて咲き出す「八重桜」「山桜」も見ものです。日本の国花はこの桜(厳密には「山桜」)と菊の2つです。
どうして桜は一番人気があるのでしょうか。咲く前から開花を待ち構える雰囲気があるにもかかわらず、すぐ散ってしまう。ほのぼのとした気分になれ、これだけの条件がそろっている花は、他にはありません。まさに日本人好みです。
ちなみに花見に欠かせない“花見酒”は、「稲(さ)の神が憑依する座(くら)」という語源にもあるように、桜にお供えしたお酒のお下がりをいただいたのがその始まりといわれています。桜は山の神が降りてくる神聖地とされていたようです。
花見酒で馬鹿騒ぎも好きですが、こうしたルーツを知っておくと、「お花見」も風流な“いい趣味”と思いませんか? やはり私の趣味には「酒」はつきもの、「花見」のワクワク感がたまらなく大好きです。