金が仇の世の中

No.185

金が仇の世の中 いつの時代も医療は金がかかる。もっとも今は、健康保険の範疇での治療は割安に抑えられている。国民の命を守るための施策だから儲けるのは我慢しろと の正論は、医師、歯科医師も国民であるということを忘れているように思えてしまう。
 では、江戸時代の医療はどれくらいの費用がかかったのか。
 今のように健康保険制度などは存在していないので、すべてが実費になる。また、名医、評判医と藪医者では桁が違う。よって今回は細見(当時の物価表のこと)に記録されたものを標準とした。内科も婦人科も口中科も区別なく一律であり、何科がという記録は未見である。
 忠臣蔵で有名な元禄の頃、井原西鶴(『好色一代男』で有名な浮世草子作家)の記録によると一度の往診(当時は往診が主であった)は五分だった。
 また安政の大地震のあったころから蘭方医が増え、診察と往診が別のものとなった。診察代は銀十五匁から三十匁、往診は銀十五匁から二十二匁内外であった。往診のほうが安いではないかとお気づきだろうが、別途移動費が加算された。一里につき銀三十匁かかった。ちなみに一里が三・九二七キロメートルとなったのは、一八九一年、明治時代である。江戸時代の一里はかなりいい加減で、成人男子が小半刻(約三〇分)で歩くくらいの距離であった。
 さて、最大の問題は通貨単位だ。現在と違って江戸時代は金貨が四進法、銀貨は計量通貨だったうえに、金貨が米の値段に連動する変動相場だった。
 一両小判は、時代劇などでご存じだろう。この一両が米一石であった。ゆえに米が値上がりすれば、小判の価値も高くなる。一応、一両は四分であり、銀なら六十匁、銭にして六千文ほどが通常だと考えていただけばいいと思うが、飢饉などがあると銀八十匁、銭一万文くらいになってしまうこともあった。ちなみに分は一両を細分したものなので変動しない。
 ややこしいので、現代のお金に換えよう。一両が何円になるのかは異論があり、確定していないが、一家四人が江戸で一ヵ月生活できたとか、江戸から京まで旅ができたとかと言われるので、およそ二十万円と私は推測している。
 となれば五分は二十五万円、銀十五匁は五万円、銀三十匁は十万円だ。肉体労働者の日当が銭二百六十文(約八七〇〇円)の時代、この金額は高い。
 現代の歯科でもインプラントや矯正など保険で賄えない治療はかなりの金額がする。だが、「手遅れでしたな」「御寿命でございます」ですんだ江戸時代と違って、何十年という責任がついて回る。藪医者には住みにくい時代だからこそ、研鑽は必須である。

著者

上田秀人

作家・歯科医師
(うえだ・ひでと)

上田秀人 (うえだ・ひでと)

1959年 大阪生まれ。大阪歯科大学卒業
1997年 第二十回小説クラブ新人賞佳作「身代わり吉右衛門」でデビュー
2011年 第十六回「孤闘 立花宗茂(」中央公論新社刊)で中山義秀賞受賞
2012年 開業していた歯科医院を廃業、作家専業となる
日本推理作家協会会員/日本文芸家協会会員/日本歯科医師会会員

【主な作品】
禁裏付雅帳シリーズ(徳間文庫刊)
日雇い浪人生活録シリーズ(ハルキ文庫刊)
聡四郎巡検譚シリーズ(光文社時代小説文庫刊)
百万石の留守居役シリーズ(講談社文庫刊)
本懐(光文社刊)