一杯のお茶

No.119

井上、次行くぞ」と酔っ払った先輩が背中を押して促した。「ハ、ハイ…」と答え、肩を組み街中を歩き始めた。「せ、先輩、お茶の点て方はいつ教えてくれるんですか?」と聞く私に、先輩はtestうつろな目で「なに、お茶? ここは酒道部だぞ…」

 大学に入り、少林寺拳法部に入るとなぜか、多くの先輩が茶道部と兼部していた。少林寺が“動”、茶道が“静”とか言われた覚えがあるがいまだその謎は解決していない。兎に角、私も有無も言えず、茶道部にも入部した。昭和47年の春である。もちろん茶道の稽古に間に合ったことは無い。先輩達が飲みに行く頃、ちょうど少林寺の練習が終わり、そこへ合流するのが常であったからお茶など点てられるはずがない…。

 しかし、茶道部には禅寺にて1週間程行われる夏合宿があった。流石にこれをサボるわけにはいかず、比叡山延暦寺、奈良橘寺(聖徳太子生誕の地)、鎌倉建長寺…とそれは名高いところへ出かけた。早朝5時には起床、作務の後、献茶、精進料理、そして一日中稽古に明け暮れる。もちろん、そんな厳しい稽古三昧に私が耐えられるはずがない。夜な夜な同級生と抜け出し、自動販売機にてビールを買い…。

 こんな私の茶の湯の道であったが、平点前は一応修得し、「茶の心」も多少なりとも身についたようである。中でも、茶は服のよきように点て、炭は湯の沸くように置き、花はその花のように活け、さて夏は涼しく、冬は暖かに、刻限は早めに、降らぬとも傘の用意、の7つを持って相客に心せよ…という茶道の秘事が好きである。この秘事は、千利休がある弟子から「茶の湯とはどのようなものですか?」と訊ねられたときの答えである。その時その弟子は「それくらいのことなら私もよく知っています」と言った。すると利休は「それでは、私はあなたの弟子になりましょう」と言ったという。この逸話が、少林寺をたしなむ私の拳が、後輩の医局員に振るわれることがなく、諭すようになった理由である。

 さて、我が家には四畳半の茶室がある。もちろん普段は寝室である。女房と二人で寝るので、夜トイレに行くときには踏みつけあっているような小さな部屋である。それでも友遠方より来る…となればきれいに掃除をして、一応茶室のような感じになる。猫の額より狭い庭に灯籠と竹が植えてある。蹲(つくばい)*などを作るスペースは当然ない。そんな場所で、平点前による一杯のお茶で旧友をもてなすのが好きな自分である。

 その後はもちろん、街へ出て酒道の秘事(私言)に則り酒の道に連れ込むのである。酒を飲むときはネクタイをはずし頭に巻き、炭は燗ができるよう火鉢に入れ、つまみはそのつまみに合う皿に置き、夏はビール、冬は熱燗、刻限は遅めにそして、吐かぬとも袋の用意、そして誘いは断らずハシゴすべし、電柱に気をつけて…。

 お茶を点てて、客に飲んでもらうためには、点前作法より、飲みやすく、旨いほうがいいに決まっている。歯科においてかたくるしい医療面接を行うより、患者に旨い、飲みやすいお茶を点てて差し上げながら、秘事を心得て話せば、トラブルが少なくなることは間違いないと思う…。

*)茶室に入る前に手を清めるための手水鉢(ちょうずばち)。

著者

井上 孝

東京歯科大学臨床検査学研究室・教授
(いのうえ・たかし)

井上 孝(いのうえ・たかし)

1953年生まれ。1978年東京歯科大学卒業。2001年東京歯科大学教授。幼少時代を武者小路実篤、阿部公房などの住む武蔵野の地で過ごし文学に目覚め、単著として『なるほど』シリーズを執筆。大学卒業後母校病理学教室に勤務し、毎日病理解剖に明け暮れ(認定病理解剖医)、“研究は臨床のエヴィデンスを作る”をモットーにしている。