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口福論

No.195

image  生まれてすぐ産声をあげた赤ちゃんは、声を限りに泣きじゃくりますが、母乳を与えられると、しあわせそうな顔で口を動かし、リズミカルに母乳を吸い込みます。
 誰に教わったわけでもなく、ひたすら母乳を飲み、やがて満ち足りると、すやすやと眠りにつきます。そのときの母子は幸福感に満ちた顔をすることから、しばしば画題になります。
 こうして口から栄養を取り入れ、〈食べる〉ことの第一歩を踏み出した赤ちゃんは、はたしてこれから何度食事をすることになるでしょうか。
 無心で母乳を吸い込んでいたときと違い、ひとはときに、哀しみに打ちひしがれたり、苦しさに胸をふさがれたりしますが、〈食べる〉ことで、それらが紛らわされることも少なくありません。
 長く生きてきて、ひとつ確信していることがあって、それは、〈食べる〉前に比べて、食べたあとは、苦しみや悲しみ、怒りなどの感情が和らいでいるという事実です。
 お腹が空いていると怒りっぽくなる、というのはよく知られていますね。ひとに限ったことではありませんが、すべての生き物は生命を維持するために食べたり飲んだりするわけですから、飲食が足りないと危機感を覚え、交感神経が活発になり、攻撃的になると言われています。
 逆に空腹が満たされると、危機感がなくなる。 ことで、副交感神経がはたらき、幸福感を得られるというわけです。
 つまり幸福感の入口は文字どおり〈口〉にあるのです。これをして〈口福〉と呼びたくなるのは、ぼくだけではないと思います。
 もちろん〈口〉が果たす役割は、食べることだけでなく、息をする、話す、歌うなど多岐にわたり、それらすべてが幸福に結びつくとは限りません。
 口は災いの元という言葉があるように、ひとが話す言葉はときに凶器にもなり、ひとを傷つけたり、傷つけられたりするのにも、口が使われます。
 口げんか、という言葉はその典型ですね。暴力に訴えることなく、口、つまり言葉で攻撃しあう。どんなに仲のいい夫婦でも、口げんかの一度や二度は経験しているはずです。
 けんかの後の仲直りもまた、口が大きな役割を果たします。ひと言あやまるだけで、元のさやに納まるものなのです。
 しかし、どうせ口を使うなら、災いでなく福を呼び込みたいものですね。口は幸福の元。
 その最たるものが、おいしいものを食べることだというのに異論はありませんね。
 ひとが美味を追求するのは、幸福を求めているからです。次回はその話を深堀りしてみましょう。

著者
柏井 壽
歯科医・作家
(かしわい・ひさし)

柏井 壽 (かしわい・ひさし)

1952年 京都市生まれ

1976年 大阪歯科大学卒業

京都関連、食関連、旅関連のエッセイ、小説を多数執筆。

代表作に『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)、『日本百名宿』(光文社文庫)、『京都力』(PHP新書)などのエッセイ集、世界30ヵ国で翻訳出版されている『鴨川食堂』(小学館)や『祇園白川小堀商店』(新潮社)、『うみちか旅館』(小学館)などの小説がある。