No.186

手練の技 前回、診察代金のお話をさせていただいた。
 その続きに義歯の製作について、お話をしたいと思う。
 江戸時代の歯科の治療は、大きく分けて三つしかなかった。
 一つは穿刺療法(切開を含む)、そして薬物療法、最後に抜歯である。おわかりいただけるように、う歯の治療はない。せいぜい痛み止めを出すくらいで、結局は抜くことになった。当然、抜けば歯はなくなる。
 では、抜歯後をどうしたのか。
 今なら選択肢はいくつもある。欠損が一、二本ならばブリッジ、数本ならばパーシャルデンチャー、歯が一本もなければフルデンチャー。そして費用と条件が整えば、インプラントも選べる。
 しかし、江戸時代には二つしか選択肢はなかった。入れ歯にするか、そのまま放置するかである。
 事実、江戸時代の大名から庶民まで合わせても、入れ歯を使わないというほうが圧倒的に多かった。ならば、少数派の者たちはなんのために入れ歯を使ったのであろうか。
 もちろん、食事のためというのが多数であろう。江戸時代の入れ歯はセミオーダーであった。いやそこまではいかず、既製品のズボンを買って裾上げをするのと同程度で、露店で売っている木製の入れ歯を口に入れて、顎堤にあたる部分をその場で削って調整した。これでよく噛めたと思うが。
 それでは満足できない者が小間物(櫛くしや簪かんざしなど)を作る職人にオーダーした。噛みやすいように奥歯に鉄の楔を打ち込んでくれだとか、笑えば光るように前歯に螺らでん鈿)を施してくれとかを注文した。言うまでもなく、かなりの金額がかかる。ご飯とおかず、それに酒をつけて八十文(現在の価値で約三百円)もあれば十分腹一杯になる時代に、江戸の豪商が百両(約二千万円)を出したという。まさに貧富の差極まれりである。
 金額も驚くが、それ以上におそるべきは職人である。莫大な金を出してもいいと思わせた技。今のように、歯科解剖学、歯科補綴学の知識はもちろん、印象材どころか、口の中を照らすライトもないときに、口腔内を観ただけで入れ歯を作りあげた。なんという観察力、集中力か。
 私たちも見習うべきだ。

 

※)貝殻を用いた装飾。

著者

上田秀人

作家・歯科医師
(うえだ・ひでと)

上田秀人 (うえだ・ひでと)

1959年 大阪生まれ。大阪歯科大学卒業
1997年 第二十回小説クラブ新人賞佳作「身代わり吉右衛門」でデビュー
2011年 第十六回「孤闘 立花宗茂(」中央公論新社刊)で中山義秀賞受賞
2012年 開業していた歯科医院を廃業、作家専業となる
日本推理作家協会会員/日本文芸家協会会員/日本歯科医師会会員

【主な作品】
禁裏付雅帳シリーズ(徳間文庫刊)
日雇い浪人生活録シリーズ(ハルキ文庫刊)
聡四郎巡検譚シリーズ(光文社時代小説文庫刊)
百万石の留守居役シリーズ(講談社文庫刊)
本懐(光文社刊)