禍福門なし、ただ人の招くところ

No.175

 t二〇二〇年二月頃から始まったわが国における新型コロナウイルスの騒動は感染者を増加させ続け、未だに収束の兆しがみられない。浅学の筆者にはどうしてこうなったのか、今まで人類に免疫ができないほど遠くにいたウイルスが進出してきたのか、理解が追いついていない。ただ、人類はまだ世界のすべてを知っているわけではなく、地球を支配できているわけでもないとよくわかった。

 表題の「禍福門なし、ただ人の招くところ」という慣用句は、災いにも幸せにも通行をさまたげる門はなく、そのすべては人が引き起こしたものだという意味である。今回のウイルスの感染も、人が未知の領域へ手を伸ばしたことで始まったと言われている。

 それだけではない。ウイルスの拡がりが確認された後も人類は門を閉じず、災いを受け入れた。受け入れざるを得なかった。かつてのように人の往来を禁じることができない世の中になってしまったからである。日本のように周囲を海に囲まれ、乗り物がなければ容易にやってこられないところは特異であり、地続きの大陸とは違っているとはいえ、物流は止められない。

 

 これは世界が繋がったことで、役割分担がはっきりしてしまったからではないかと筆者は思う。食糧生産に向く地域は農業を、海や川が近く輸送しやすいところは工業を、そして大都市で政治と商業を担う。結果、都市封鎖をしては生きていけなくなった。とくに人口を抱える大都市が厳しい。食糧が入らなければ大勢が飢える。そして飢えは人心を荒廃させ、国情が不安になる。

 当然、人権もあり中世ヨーロッパでおこなわれたような、ペストやコレラに冒された村や町を武力で封鎖、病ごと焼き殺すという手段は執れない。

 ちなみに日本の歴史を調べてみると、記録にある限りこのような思い切った手段は執られていない。しかし、焼き討ちは存在した。ご存じの織田信長による比叡山、摂津尼崎湊などでおこなったものである。だが、これは病を撲滅するためではなく、そこに居る人間を焼き尽くすことで抵抗力を奪い、さらにそれを見せしめることを目的としたものだった。

 では病はどうしたのか。日本で疫病は悪神の祟りとされてきた。麻疹やコレラが流行ると、人々は神に祈ることで病を避けようとした。騒動が収まるまで頭を低くして耐えることで、日本人は伝染病をかわしてきた。

 新型コロナウイルスへの対策は研究が進んでいる。いずれ脅威ではなくなる。前例さえあれば、次への対応は日本人の得意とするところである。ただ新しいものには弱い。だがそうも言っていられない。皆一丸となってこの危機を乗り越えようではないか。

著者

上田秀人

作家・歯科医師
(うえだ・ひでと)

上田秀人 (うえだ・ひでと)

1959年 大阪生まれ。大阪歯科大学卒業
1997年 第二十回小説クラブ新人賞佳作「身代わり吉右衛門」でデビュー
2011年 第十六回「孤闘 立花宗茂(」中央公論新社刊)で中山義秀賞受賞
2012年 開業していた歯科医院を廃業、作家専業となる
日本推理作家協会会員/日本文芸家協会会員/日本歯科医師会会員

【主な作品】
禁裏付雅帳シリーズ(徳間文庫刊)
日雇い浪人生活録シリーズ(ハルキ文庫刊)
聡四郎巡検譚シリーズ(光文社時代小説文庫刊)
百万石の留守居役シリーズ(講談社文庫刊)
本懐(光文社刊)