臨兵闘者皆陣列在前

No.180

no180image 「臨兵闘者皆陣列在前」、九文字の漢字でできているこれは、そのまま九字と呼ばれる。発祥は中国であり、日本に伝来して修験道や密教の修行のときに唱えられるようになった。時代劇などがお好きな方は、忍者が手に印(指の形で剣や鈷杵などを表す)を組んで九字を唱えるシーンをご覧になっているだろう。ちなみに「臨む兵、闘う者、皆、陣なら列べて前に在り」と読むのが一般的とされている。なにかを行う前に集中する、あるいは神仏の加護を求めるために使われたと伝わる。

 ということで、今回は忍者にかかわる話をしたい。昨今でも小説や映画などで、敵に捕まったスパイが奥歯に仕込んだ毒薬を飲み自殺するという場面は多く、忍者ものや中世ヨーロッパの物語にもこういったシーンは出てくる。

 諸兄にお伺いしたい。どうやれば奥歯に毒を仕込めるのだろう。この毒には条件がある。即効で致命し、解毒しにくいものでなければならない。そんな危険なものを、話し、食べるだけでなく、食いしばり、歯ぎしりする奥歯に仕込めるだろうか。しかもいざというときには、簡単に使えなければならないのだ。

 気になったので文献を紐解いてみたところ、中世のヨーロッパでは自分の歯を抜いた跡に毒薬を詰め、それに蓋をするように抜いた歯を戻すとあった。言わずともおわかりの通り歯が浮いた形になるため無理である。では忍者はどうしたのか。忍術の秘伝書と呼ばれる書物によると、小動物の腸を小さく切ったものの中に毒薬を入れて両端をきつく糸でしばり、その一方の糸を奥歯に引っかける。その後、この小袋を喉のほうへと垂らし、いざとなったとき舌でこの糸を外して、毒袋を胃に落とす。なるほど、これならば可能に思えるが腸が溶けるまでの時間がかかる。

 結果というほど検証したわけではないが、奥歯に毒を仕込むというのは難しい。

 歯科医療は日々驚愕のスピードで進化している。わたしが現役で歯科治療を行っていたころ、歯の大規模修復はワックスアップしたあとキャストしていたのだが、今ではCAD/CAMや3Dプリンタを応用した補綴治療も増えてきた。これらデジタル機器の活用により無調整の最終補綴装置を製作できる日も近いうちに来るであろう。

 現在、口腔内に使用される材料は、人体に影響を与えないものが推奨されている。忍者が使うような毒ではなく、服薬のために口腔内で徐放する薬剤を含んだ材料が出てくる日もきっと来る。糖尿病、高血圧などの成人病はもとよりアレルギーや癌などの治療から、予防のための投薬まで、飲み忘れを防ぎ確実な効果を歯科がもたらすときは近いと信じたい。

著者

上田秀人

作家・歯科医師
(うえだ・ひでと)

上田秀人 (うえだ・ひでと)

1959年 大阪生まれ。大阪歯科大学卒業
1997年 第二十回小説クラブ新人賞佳作「身代わり吉右衛門」でデビュー
2011年 第十六回「孤闘 立花宗茂(」中央公論新社刊)で中山義秀賞受賞
2012年 開業していた歯科医院を廃業、作家専業となる
日本推理作家協会会員/日本文芸家協会会員/日本歯科医師会会員

【主な作品】
禁裏付雅帳シリーズ(徳間文庫刊)
日雇い浪人生活録シリーズ(ハルキ文庫刊)
聡四郎巡検譚シリーズ(光文社時代小説文庫刊)
百万石の留守居役シリーズ(講談社文庫刊)
本懐(光文社刊)